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幾五郎ブログ第二段 「書状集」解説

  • kagiyaco
  • 2022年10月7日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年10月9日

                   岸田 文隆(大阪大学)


鍵屋歴史館には、江戸後期の対馬藩朝鮮語大通詞として有名な小田幾五郎が寛政13年(1801) に筆写した「書状集」というハングル書簡集が所蔵されている。このたび、鍵屋歴史館のホー ムページにこの貴重な新資料の画像が公開される運びとなったが、以下、その内容と資料的価 値について、簡単に解説してみたい。 1冊、写本、墨付74丁。毎半葉20字×10行のマス目が印刷された原稿用紙様の紙に、全69通 分の書簡がハングル漢字交じり文で筆写されている。なお、本書の第39通目のハングル書簡に は一部語句の誤脱があるが、その部分を補うために書き写された紙が本書の冒頭に挿入されてい る。全巻朝鮮語の原文のみで和訳は付されていない。外題なし。巻頭題は「書状集」。本書の 末尾には、 寛政十三辛酉年二月寫 小田幾五郎 とあって、本書が、寛政13年(1801)に小田幾五郎自身の手によって筆写された、極めて由緒に富 む写本であることが知られる。本書は、前述のとおり、ハングル書簡を集めたものであるが、 すべて朝鮮の倭学訳官が釜山倭館に滞在中の対馬の朝鮮語通詞に送ったものと見られる。 ところで、かねてより学界によく知られてきた江戸期日本の朝鮮語学書として、薩摩の苗代 川に伝来した「韓牘集要」という本がある。現在、京都大学の文学研究科図書館に所蔵されて いるが1)、それと本書「書状集」を比較してみると、ほぼ同一の内容であり、両者が同一の書 籍の異本の関係にあることが知られる。「韓牘集要」は薩摩苗代川に伝来したものではある が、その内容から、薩摩苗代川で成立したものではなく対馬から伝わったものであろうとの推 測がなされてきた。しかし、今まで不幸にも対馬にはその伝本が発見されず、その具体的証拠 を提示することがかなわなかった。このたびの本書鍵屋歴史館の「書状集」の出現は、「韓牘 集要」の淵源が対馬にあることを具体的に示すものであり、その資料的価値には多大のものが あると言わねばならない。

続く

 
 
 

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