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幾五郎ブログ第二段 「書状集」解説 続き

  • kagiyaco
  • 2022年10月24日
  • 読了時間: 3分

更新日:2022年10月26日

「韓牘集要」の祖本の成立年については、先行研究2)によってだいたい1732年ころであるこ とが明らかになっているが、その根拠は以下のとおりである。 1) 「韓牘集要」[35a][37a][55a]に「韓起仲」、[21b]に「鄭一哉」、[51b]に「朴敏甫」 なる人名があらわれるが、朝鮮司訳院の訳科の科試合格者の人名録である「訳科榜目」によれ ば、それぞれ康煕戊子(1708)式年、雍正己酉(1729)式年、雍正癸卯(1723)式年に倭学に及第し ていることが確認され、1700年代初葉から中葉にかけて活躍した倭学訳官と考えられる。よっ て、「韓牘集要」の祖本の成立年もだいたいその頃かと思われる。

2) さらに、「韓牘集要」[56b]には、 年〃 被執 出物 㑹計文書 代官中으로셔 己酉年지 여 보내여 겨오시되 庚戌 辛亥 兩 年 被執 㑹計文書帳을 必 여 보내심 밋이다 (毎年売込の出物会計文書を代官の皆様より己酉年まで書いてお送りくださったのですが、 庚戌と辛亥の両年の売込会計文書帳をなにとぞ書いてお送りくださいますようお願い申し上 げます。3)) という文例があり、代官中より己酉(1729)年までの会計文書を送ってもらったが、庚戌(173 0)、辛亥(1731)両年についてはまだなので、その会計文書も送ってほしいとの内容が見える。 この文例の作成年代は、辛亥(1731)年の翌年あたりではないかと考えられるが、この事実から 推して、「韓牘集要」の祖本の成立年は1732年頃と推測される。 3) また、「韓牘集要」[67b]には、 鄙{비}가 自乙未今{을미금} 十七年 被執온 거시 白糸 物貨不計고 人蔘이 二千斤 尾蔘 九百斤 已上{이샹} 三千斤이오니 (私めが乙未から今まで17年間被執(売込)いたしましたのが、白糸・物貨を問わず、人参 が2000斤、尾参900斤、以上3000斤でございますので) という文例があり、自分が乙未(1715)年から今まで17年間人参などの商売に携わってきたとの 内容が見える。この文例の作成年代は、乙未(1715)年の17年後あたりではないかと考えられる が、この事実から推しても、「韓牘集要」の祖本の成立年は1732年頃と推測される。 4) さらに、「韓牘集要」[19b]には「対馬島失火」に関する文例があらわれるが、これは、 享保17年(1732)3月26日夜から3月28日の朝まで燃え続けた対馬府中の大火事を指すものと見 られる。また、「韓牘集要」[6a][6b][11a][19b][21b][53b]には「天銀事」に関する文例が あらわれるが、これは、享保16年(1731)から享保17年(1732)にかけて発生したいわゆる「天 銀一件」を指すものと見られる。また、「韓牘集要」[66b]には「圖書差使慰差備(図書参判使 差備官)」に関する文例があらわれるが、これは、享保16年(1731)10月5日に倭館に到着した図 書参判使樋口孫左衛門一行を接待するためにソウルから派遣された差備官時中韓僉知と粛甫辺 判事4)を指すものと見られる。これらのことから推しても、「韓牘集要」の祖本の成立年を 1732年頃と考えて問題はない。 本書「書状集」は、「韓牘集要」と祖本を一にするものであるので、その祖本の成立年代も 同様に1732年頃と考えられる。1732年頃に成立した祖本が、対馬で受け継がれたものが「書 状集」であり、ある時期に薩摩苗代川に伝えられてその地で受け継がれたものが「韓牘集要」 であると言うことができる。

続く

 
 
 

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