幾五郎ブログ2:小田幾五郎の『通訳酬■(酉へんに作)』とその前身としての『通訳実論』
- kagiyaco
- 2021年12月7日
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名古屋大学 酒井雅代
さて、今回からは、鍵屋歴史館所蔵史料のなかでも大変貴重な小田幾五郎の著作、『通訳酬酢(酉作)』(つうやくしゅうさく)の内容をご紹介していきます。
天保2年(1831)、幾五郎は、朝鮮事情について記した著作『通訳酬酢』を藩に献上し、この年に亡くなりました。『通訳酬酢』は、幾五郎の著作のなかでも大部で、通詞人生の集大成ともいえる著作でした。
「酬酢」とは、「応酬」などの語から想定できるように、「言葉のやりとり」という意味です。『通訳酬酢』は、通訳官同士の対話をまとめた著作ということになるでしょう。
この時藩に献上されたものは、現在、大韓民国・国史編纂委員会に所蔵されているものと見られます。しかし、鍵屋歴史館には、藩に献上する13年も前に記された、文政元年(1818)完成の草稿が残されています。その名を『通訳実論』といいます。
その序文を読んでいくと、執筆の背景がわかります。
幾五郎は、明和4年(1767)の元服前から(この時13歳)、朝鮮釜山の草梁和館(そうりょうわかん)に渡海して語学学習に励みました。以来50年以上の長きにわたって、通詞(対馬藩の朝鮮語通訳官)として訳官(朝鮮人の日本語通訳官)と親しく付き合い、外交問題を議論してきました。
そして、この間に朝鮮の国の人情について見聞きしてきた内容を、文化4年(1807)から毎年1編ずつまとめて袖中に持っていました。文政元年(1818)、それを編纂して『通訳実論』という名をつけました。
「実論」とは、「事実にもとづいた議論、実際の話」といった意味です。通詞の幾五郎と朝鮮人訳官が、職務のかたわら親しく付き合うなかで、実際に話したそのままを記した本、ということになるでしょう。リアルな朝鮮事情をありのままにまとめたもの、それが『通訳実論』でした。
朝鮮人との交流についても幾五郎は、こちら(対馬藩側)が実直さを失わなければ、たとえ朝鮮側が奸(不正、悪い行い)をおこなったとしても終いには正しい道に落着する、とも述べています。
相手に不正があればともすれば厳しく糾弾しがちですが、そうして事態を突破しようとするのではなく、朝鮮側の「人情」を理解し、こちらが実直さを失わないことが肝心だというのは、長年にわたり外交交渉の最前線での職務を果たした幾五郎ならではの見解ですね。
そして、通詞の私(渡し)の心得として、「通弁は秋の湊の渡し守 往来(いきき)の人の こゝろ漕知れ(通弁は秋の湊の渡し守のようなもので、往き来する人のこころを運び、理解するものである)とも述べています。
私と渡しの掛詞もひねりがきいていますが、日本(対馬藩)側と朝鮮側の「人のこゝろ」を理解して伝えようとする通詞としての矜持が伝わってくるようです。
では実際に通訳官たちがどのような対話をしていたのか、知っておかなければならないリアルな朝鮮事情とは何か。次回からは、ひとつひとつその内容をひもといていきたいと思います。
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