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幾五郎ブログ3:『通訳酬■(酉へんに作)』第1冊目「風儀の部」

  • kagiyaco
  • 2022年2月19日
  • 読了時間: 3分

名古屋大学 酒井雅代


全12冊からなる『通訳酬■』のうち、今日は第1冊目の内容をご紹介します。


第1冊目は「風儀の部」という題がつけられています。漢字の通り、風習やならわし、行儀作法がテーマの章です。ただ、小田幾五郎のおもしろいところは、「風儀の部」だからといって単に両国の「風儀」をまとめるのではなく、「読ませる」エピソードをいろいろと盛り込んでいる点でしょう。


「風儀の部」は、両班(朝鮮王朝の貴族階級)の人が釜山の倭館(和館)を訪れるシーンから始まります。


当時、朝鮮も日本も「鎖国」下にあったので、両国の人にとって、外国人と接する機会はごくわずかでした。そのなかで、例外的な場所の一つが、倭館(和館)でした。


倭館(和館)には、朝鮮との外交・貿易をおこなう対馬の人が滞在していたので、許可を受けて倭館に入れば、日本人と接することもでき、日本の文化を体験することもできたのです。そのため、朝鮮の都・漢城(現在のソウル)から、両班がわざわざ遊びにくることがありました。


 両班たちは、朝鮮人の通訳官に案内されて倭館(和館)を訪れながら、日本人の通詞のもてなしを受けました。両班にとっては、新鮮な「異文化との出会い」です。そこで、目にしたこと、疑問に思ったことを次々と尋ねます。


日本人が月代(さかやき)を剃っているのはなぜか。日本人はどうして頭巾をかぶらないのか。なぜ帯刀している人としていない人がいるのか。刀の飾りが多いのではないか。日本人はどのような生地の衣類を身につけるのか。その着物についている紋は何なのか。


みなさんならどう答えますか。両班の質問に対して、通詞は、ユーモアを交えながら、ひとつひとつ説明をします。朝鮮人の両班に伝わりやすいように、時には朝鮮の「風儀」を例えに出して。


 ただ、無邪気に異文化を楽しんでもらうだけではありません。

「刀を見せてください」と、通詞の刀に手をかけた両班に対しては、「このようなことをしてはなりません。日本の掟では、他人の刀に手を当てるのはきわめて失敬なことで、日本の人であれば、身分にかかわらず、親友であってもそのままにはしておけないことです。」と厳しく注意したりもしました。


 朝鮮の貴族に対して、接待をしている日本人の通詞がはっきり注意をするというのは、一見失礼なことに見えるかもしれません。


 ただ、両班は、たとえば通信使の一員として、日本に派遣される可能性もある存在です。そういった時に、(日本文化を知らず)先ほどのようなふるまいをしたら、日本人との間で喧嘩になったりケガを負ったりすることも考えられます。そうしたら、事態は外交問題として大事になってしまいます。


そうならないように、身分の高い人に対しても、日本の「風儀」を伝えるべき時にはきちんと伝える、そのような矜持を持って通詞は活動していたのですね。

 
 
 

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